2010.01.25 ハツモノ


まだ一月だというのに、ハツモノのお目見え。
去年のしわくちゃのフキの葉っぱをたどっていくと、
みどりの新芽が顔を出している。

久しぶりにフキノトウを手に取ると、
ほんとうにたまらないツチ臭い匂いがして、
自分が大人であることを忘れそうになる。
持ち帰って、天麩羅にして日本酒を飲んだりすると、
自分が子供じゃないのだということを実感する。

そういうわけで、フキノトウの時期になると、
アタマの中はけっこう忙しくなって、
あれこれと物思いにふけることが多くなる。

shunken
2010.01.25 写経会ルポ
1月24日(日)今年最初となる写経会が開催されました。
会場に入りきれないというハプニングもありましたが、何とか全員の皆さまに写経をしていただき、それぞれの修行の時間を過ごされていたようです。



写すお経は般若心経1巻。時間でいえば1時間〜2時間、ずっと細かい文字を写していくわけですが、不思議なもので、心の揺れがそのまま字にあらわれてきます。

瞑想などの修行法は自分の心の変化を観察するものに対し、写経も同じく文字を書くという行為によって心の変化が観察できるのですね、と終了後の雑談より。油断していると字を間違える、上手く書こうとすると力み過ぎて上手く書けない。ほどよいバランスがコツのようですね。

DSC_1841.jpg

◆◆◆参加者の皆さまの感想をご紹介させて頂きます。

・時間が経つのを忘れて、夢中になって写経でき、大変気持ちの良い時間を過ごすことができました。

・とうとうMy筆を購入しました!筆がくたびれるまで大事に、大事に、写経をしていきたいと思います。

・学生時代以来の筆を持っての時間、なんとも言えない緊張感と清々しい後味を感じました。

・初参加です!新鮮な気持ちになりとても良い経験が出来ました。

・静かに自分と向き合う時間となりました。

・初めてだったので、難しかったです・・・

・心穏やかなひと時でした。日々疲れている心ですが、心静かな時間がとてもすてきでした。

・3回目。書きながらの気持ちの変化が分かって楽しかったです。少しずつ自分が分かって楽しいですね。

・写経をしている間は不思議なほど、何も考えず、楽しむことができました。

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次回2月の日程もウェブにアップいたしましたので、ご覧くださいませ。
今年も細く長く、福島の山寺のワンコイン修行は続けて参ります。

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書いて頂いたお経は、横浜市鶴見区の大本山總持寺さまに納めさせていただきます。
shunekn 合掌
2010.01.21 人面犬
今日は、お台場に行く用事があり、水上バスで浅草へ帰った。
浅草から自宅まで帰る途中、妙に人間っぽい犬を見かけた。

夕食後、ふと気になって「人面犬」と画像検索をかけてみた。
ちょっと前に流行ったアレだ。

ネタ元 212.jpgネタ元 m(_ _)mお借りさせて頂きました!

他にも幾つかスゴイのもあったのだが、夢に出そうなのもあったので控えることにした。
気になる方はgoogle画像検索で「人面犬」とどうぞ〜。

一時期テレビでよく放送された人面犬や人面魚の存在については、見たこともないので何とも言えない。が、私が惹かれてならないのは、どうしてそのような奇異かつSF的動物の存在に対して人間が夢中になるのかという事の方だ。世の中が混沌として荒廃しなければ救世主が求められないように、何らかの人間の内なる需要が無ければ人面犬も生まれないはずだ。何が人面犬をこの世に存在させるのか。

そんな時、昔の文献を紐解いてみると面白い。
江戸時代には、人面犬ならぬ人面牛が記録に残されている。

Mt_Kurahashi_Kudan[1]

人と牛という字を足して、件(くだん)という名の妖怪である。その姿は、古くは牛の体と人間の顔とされているが、第二次大戦ごろ(そんな時期まで流行っていたのか…)からは逆に人間の体と牛の頭部を持つとする説も現れる。幕末ごろの伝承によれば、牛から生まれ、人間の言葉を話す。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、戦争に関することを予言し、間違いなく当たるという。(1)早いものでは寛永6年(1629)の『簠簋抄』(ほきしょう)という占いの書に登場する。(2)

「件のごとし」の慣用句は、この妖怪が語源で「件の予言がはずれないように、嘘偽りがない」ということで使われているそうだ。納得。

目撃の情報などは数多く、ここでは割愛するとして、戦時中の社会現象になっていたという記録が興味深い。江戸から大正までは件の絵を飾ると流行り病にかからないなどのご利益が謳われていたのに対し、軍国主義の台頭で戦火が激しくなる中、戦争や空襲に関する予言が日本各地から数多く聞かれるようになる。

昭和19年、岡山県で生まれた件は「日本は戦争に負ける」と予言して死んだといわれる。その当時、そんなことを大っぴらに言ったら大変なことになる時代、戦線が有利に進んでいると聞かされているとはいえ、国民もそう鈍感なものではあるまい。状況の悪化を肌身で感じていた村人は昭和20年の8月「やっぱり件の予言は本当だった」と話していたという。(2)

本当のことを口にできない世の中で、クダンという妖怪の予言の中に人々のココロのつぶやきが見え隠れする。ネットなんかが無い時代に、同じようなうわさ話が同時多発的に国内のあちこちで起こっていたことを考えると、件が生まれた背景がおぼろげながら見えてくるような気がする。

件という存在を借りて、口に出せないことを世間に流し、病や作物の豊凶など生活を脅かすものに対する一つの祈りを込めていたのだろうと推察する。それほど強大な霊威が求められるからには、人間と動物の融合体のような奇妙奇天烈な外観でなければ信仰も集められなかったのかもしれない。異形や見てはいけないものに対する人間の好奇心と、超自然的な存在をどこかで認めたい人間の心。その双方の緊張感のうえに、件という妖怪が生まれたのではないだろうか。

件
※食卓で牛肉を食べている方は見ないでください。

そんなDNAは現代にも残っているのかなと、ムフフと想像をしながら、人面犬の画像を眺めていると何だか楽しい心持ちになってくる。

shunken 長々と失礼しました。


(1)wikipedia 件(くだん)より
(2)『うわさと俗信』常光徹 著 高知新聞社 1997
先週末ふくしまに帰省した際、星空があまりにきれいで驚いた。
一眼レフを慌てて用意し、かじかむ手で地面にそのまま置いて、
シャッターを30秒ほど開放して撮影してみた。



東京の空と比べれば、それはそれは福島の空は肉眼でも違いが十分に分かる。
が、予想以上の無数の星たちが映っていることに更に驚きを隠せなかった。
どうやら条件次第では肉眼よりも人類の英知に軍配があがるようだ。

逆に肉眼では見えるのに、写真にすると見えなくてもどかしい思いをすることもある。
現像してみたら「あの時の美しさはこんなものじゃなかった」という経験。
ビギナーの自分にはむしろ後者の方が圧倒的に多いのだけれど。


ちなみに、今や日本を代表する企業のひとつ、canon(キャノン)の語源は観音だそうだ。


1933年、最初に発売した小型カメラの名前は kwanon。観音菩薩の慈悲にあやかりたいという願いが込められていたという。そしてそのレンズが kasyapa(カッサパ)、カッサパとはお釈迦様の十大弟子の一人である迦葉(かしょう)尊者のことである。観音様とは音を観ると書くように、音(世の中の悲しみや苦しみの声)を観ることによって救済をするという誓願を持つ菩薩のこと。当時最先端の技術の結晶がkwanonやkasyapaであったなら、まるで被写体である人々の声や風景の音までも切り取るような性能の方にこそ、観音様のお姿を重ねて観ていたのかもしれない。
(参考:wikipedeia)

後日談だが、流れ星を狙って20分ほど夜空の下で粘るも寒さで断念。
肉眼よりも人類の英知よりも、天体の気まぐれに軍配が上がった。


shunken 合掌
今更ですが、明けましておめでとうございます。

今日は成人式。10年前の成人式を思い出してみると、細身のスーツに長髪だった自分の姿が思い浮かび、「人間10年でここまで変われるものかねぇ」と坊主頭をさすったり、余分なお腹の肉をぷにぷにとつまんで少々凹んでいるshunkenです。こんばんは。

DSC_1471[1]


夕方から近所の浅草にぶらぶらと買い物に出かけたところ、振袖や紋付袴で歩いている新成人の姿がちらほらと。雷門やら五重塔を背景にすると、一端の粋な大人に見えるのは勿論のこと、振袖の女の子たちが人力車に乗っている光景を眺めつつ、この街の懐の深さを再認識する。10年前、福島市の成人式に出席した時を思い出すと、雪の田園地帯をキャデラックやインパラが群れをなすという何ともシュールな光景だったなぁ…。まさに冬のサバンナ。

書きたいことは、そんなことではなくて、
今朝の朝刊のことであります。



うちは朝日をとっているのだが、昔ちょっとだけ広告の勉強をしていたせいもあり、ついつい広告欄ばかり見てしまう。今日は成人の日ということで、どこかの企業が新成人向けの広告を出しているのかと思いながら頁を捲っていたところ、やはりあった。数ある広告たちの中で、たった一つ。「サントリー山崎12年」だけ。

もともとサントリー山崎といえば「何も足さない、何も引かない」の名コピーで有名だが、今回は伊集院静氏(トランヴェールの巻頭エッセイで毎月愛読中)の短いエッセイに綴られた新成人へのメッセージがボディコピーとして掲載されていた。莫大なコストを費やし、たった一日の為に、しかも新成人へ向けて制作された広告だと思うと余計に頭の下がる思いになった。そして無性に山崎を飲みたくなった。

はて、そう考えてみると、こうして三十路のオジサンまでもが飲みたくなっているという事実は、成人の日の朝刊で新成人に訴える広告を打つことによって、ウイスキー好きな大人にアクションを起こさせることも意図したものであろう。親子の会話や遠い日の成人式の記憶、それらが思考の中で絡み合っていく様子と、パワフルでそして繊細なフレーバーが熟成されていくウイスキーのそれとが重なる。

「今朝の広告読んだら無性に山崎が呑みたくなった!」

という煩悩が生まれる瞬間はこんなメカニズムを経て生まれるのだろうか。

馬鹿話は置いといて、ちょっとだけ引用してみる。

まぶしい自分になることも、美しい日本語が話せるようになるまでも、良き友を得ることも、信念を発見することも、一年、二年じゃできやしない。いいものには時間がかかる。



いいものには時間がかかる…。
即席、スピード、効率、費用対効果、ナム南無ナム。
最近の自分は生き急ぎ過ぎているのではないかと思っていたところ。

さすがに山崎のように12年は寝かせられませんが、
更新に追われることなく、焦らずじっくりと記事したためながら、
いいブログにしていきたいと思っております。

今年も宜しくお願いいたします。

shunken 合掌